東京を拠点に活動する4人組、Meltwaterの2nd LP Blue Hours は、一聴するとかなり典型的な「現代のシューゲイズ・アルバム」に聞こえる。霞んだギター、遠くに置かれたボーカル、ゆっくりと膨らんでいくディストーション。そして、どこか90年代を思わせるジャケット。
しかし、何度か聴いているうちに、このアルバムを単純にシューゲイズと呼ぶことに少し違和感を覚えるようになった。
もちろん、ギターの音だけを取り出せば、そのルーツはかなり分かりやすい。1曲目の「Glass Window」では、細かく刻まれたギターのフレーズが左右のチャンネルを行き来し、ドラムはその下でほとんど感情を見せずに一定のリズムを刻む。ボーカルは明瞭に言葉を伝えるというより、楽器の一部として混ざっている。
ここだけを聴けば、My Bloody ValentineやSlowdiveの名前を思い浮かべる人もいるだろう。
ただ、Blue Hours の面白さは、そこから先にある。
Meltwaterの曲には、いわゆる「壁」のような音圧がそれほどない。むしろ音と音の間にかなり大きな空間が残されている。ギターが最大まで歪んだ瞬間でさえ、ベースとドラムが妙に生々しく聞こえる。そのため、シューゲイズというより、90年代後半から2000年代初頭の日本のオルタナティブ・ポップを連想させる瞬間がある。
特に4曲目の「After Rain」は、その特徴がはっきりしている。
曲そのものは非常にシンプルだ。クリーンギターの短いフレーズ、淡々としたベースライン、控えめなドラム。そしてサビに入ると、突然ギターが大量に重なる。しかし、そのギターは「轟音」というより、古いポップソングのストリングスのように曲を包み込む。
この感覚は、海外のシューゲイズ・リバイバル作品とは少し違う。
近年のシューゲイズには、ジャンルとしての「シューゲイズらしさ」を非常に意識した作品も多い。巨大なギター、深く埋め込まれたボーカル、リバーブ、フィードバック。それらを組み合わせることで、過去の音楽を現在に再現する。
Meltwaterはそこから少し離れている。
彼らが過去の音楽を参照しているとしても、それは必ずしもシューゲイズだけではないように聞こえる。
7曲目の「Summer Television」は、そのことを最もよく示している。この曲には、ギターよりもメロディーそのものを中心に聴かせようとする瞬間が多い。イントロだけを聴けば、90年代の日本のテレビドラマで使われていても不思議ではないようなコード進行だ。
そして、その上にノイズが乗る。
この「ポップな曲の上にノイズを置く」という構造が、Blue Hours 全体を特徴づけている。
だから、このアルバムを聴いていて興味深いのは、「これは本当にシューゲイズなのか?」という問いそのものだった。
ジャンル名は便利だ。SpotifyやBandcampで音楽を探すときにも役に立つし、似た音楽を聴きたい人に作品を紹介するときにも必要になる。
しかし、ジャンル名を使うことで、音楽の背景まで同じものだと考えてしまうことがある。
Meltwaterの音楽は、確かにシューゲイズの音を使っている。しかし、彼らがその音を使って作っているものまで、90年代イギリスのシューゲイズと同じだとは限らない。
この違いは、LPの後半になるほど大きくなる。
8曲目の「Slow Motion City」は、アルバムの中でもっとも奇妙な曲だ。最初の2分間はほとんど何も起こらない。ギターのコードが繰り返され、ボーカルが短いフレーズを歌うだけ。しかし2分を過ぎたところで、突然リズムが変化する。
ギターはさらに歪む。
それでも音は巨大にはならない。
むしろ、古いカセットテープを何度も再生したような、少し曖昧で薄暗い質感になる。
そして最後の「Blue Hours」では、それまでの曲にあったノイズがほとんど消える。アコースティックギターとボーカルを中心にした非常に静かな曲で、アルバムの終わりとしては意外なほど控えめだ。
ここで初めて、タイトルの意味が少し分かる気がする。
このアルバムが描いているのは「轟音」ではなく、夕方から夜に変わる短い時間なのだろう。明るさが残っているのに、すでに一日の終わりが見えている。音はぼやけているが、完全に消えてはいない。
Blue Hours は、革新的なアルバムではない。
過去の音楽を完全に乗り越えた作品でもないし、シューゲイズというジャンルそのものを書き換えるような作品でもない。
むしろ、このアルバムの魅力はもっと小さなところにある。
Meltwaterは、シューゲイズの音を借りながら、それを別の音楽的記憶の中に置き直している。そこには90年代のオルタナティブ・ロック、ポップソング、インディー・ロック、そして日本のテレビや街中で流れていた音楽の記憶まで混ざっているように聞こえる。
そのため、最初は「またシューゲイズか」と思うかもしれない。
しかし、3回目、4回目と聴いていくと、少し違うものが見えてくる。
それはシューゲイズそのものではなく、シューゲイズという音楽が別の場所に持ち込まれたとき、何に変わるのかということだ。
Blue Hours は、その答えを明確に説明してくれるアルバムではない。
ただ、夜になる直前の青い時間のように、ジャンルとジャンルの境界を少しだけ曖昧にする。
そして、その曖昧さこそが、このLPを何度もターンテーブルに載せたくさせる理由なのだと思う。
